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    | comments(0) | trackbacks(0) |author : J.T. | |
    Book 姫野カオルコの 『受難』
    仏教で、日常のありのままのこころを見つめる修行法に『摩詞止観(まかしかん)』 という心の探求法があります。こころの探求を神にたよらない。つまり感情を人格化せず「感情そのもの」として捉えようとする試みは、洋の東西を問わず、永遠のテーマのようです。

    冒頭から大上段に構えたような話しぶりですけど、性にまつわる心の動きを「感情そのもの」として生々しく表現した小説もすきだなぁというお話。作家も開き直る度胸が必要だがら、そんな小説は数は少ないのかも知れませんが、理性に基づいて開き直っつた作品には好感がもてます。


    女であることを精神的に否定され、肉体的にも男を受け入れられないところまで行き着つかされたとき、自虐的になるか、悟りの道をこじ開けるのかどちらかだと思うのですが、悟りの道をこじ開けたとしたらどうなるのか、というのがこの小説。

    姫野カオルコの 『受難』 は、女たることを二重に否定されたフランチェス子なる女性のなんとも奇妙なものがたりですが、その奇妙さが生みだす可笑しさというベールでものがたりを上手に包み込みながら、性を否定された女性を博愛に行き着かせるところがおもしろい。博愛って性を超越した時点から始まるのよとやさしく解き明かしてるようにも思えます。

    なんといっても、そのベールとなる可笑しさの元が、フランチェス子の体のだいじな部分に宿った”人面そう”の ”古賀さん” 。その”古賀さん”に女をとことんまで否定され、”古賀さん”の影響からか、物理的に男性を拒否する力を持ってしまう彼女。もともと修道院でそだったということもあって、性を否定された彼女はそれを博愛のパワーへと昇華してしまう。自らのプログラマーという職業のスキルを活用して世の男女のお役に立つ商売まで始めてしまいます。

    のっけから人面そうの”古賀さん”が登場し、あらぬところに住み着いてしまうのだから奇想天外な小説なのですが、それゆえに、「そうきたかー」という結末にもそれほど違和感をいだくこともありません。 姫野カオルコ のいい意味での開き直りの魅力かもしれませんね。

     『受難』を、処女をテーマにした小説と見ることもできますが、そうだとしても、処女そのものというより、処女という、まあある意味わかりやすい禁欲状態のエネルギーが心をどう動かしてゆくのかを表現しているととらえたほうがおもしろいです。あるいみ『摩詞止観(まかしかん)』的なこころ分析?というのはあまりにもこじつけでしょうか(笑) 

    姫野カオルコ(1958年生まれ)
    ある意味好き嫌いがはっきりわかれる作家だと思いますが、この感性私は嫌いではないのです。
    | | 05:49 | comments(0) | trackbacks(0) | |
    | comments(2) | trackbacks(0) |author : J.T. | |
    村上春樹の『1Q84』

    青豆と真吾という、二人称で展開するこのものがたりは、1984年から微妙にズレた1’Q’84年の出来事をミステリアスかつサスペンス的手法で描く新興宗教を題材にした小説です。

    なんとも説明しがたい’くうきさなぎというファンタジックなツールを使って、青豆という女性インストラクターと真吾という作家の卵が自ら選択した生き方を、親に多大な影響を受けた二人の子供時代や、リトルピープルが引き起こす超常的な現象を使って運命論的に描いて行くのですが、はっきりいって私には村上氏の意図がよく読み取れなかったようです。

    新興宗教とリトルピープルという特殊能力の源となる’人々?’との関係や、リトルピープルがなんなのか意味不明であること。教祖らが体験する性的な’儀式’の意味するところも非常に誤解されやすいご都合主義にとられてもおかしくないもので、意味不明でよくわからないし、限りなくファンタジックに収束してゆく結末にも違和感があります。

    あえて新興宗教を分析してみせることもなく、そこに巻き込まれた二人を、あくまでも個の視点で思考させているのも大きな要因かもしれません。

    青豆と真吾が自分の人生を選択するにあたり、自ら道を導き出させるということにより、現実はあくまでもリアルであり、つかみどころのない理想や空想の世界とは別に着実に進行するのだということを示唆しているのかもしれません。

    とにかく、緊張感のある前半の面白さと、ふわふわとした終盤とのギャップや、グッと引いた視線での語りがないことによって、かなり中途半端な作品に感じられたのは自分だけなのだろうかと思うしだいです。


    私事ですが、前回の記事からおよそ2ヶ月、実はかなり苦しい2ヶ月でした。だいぶ前から覚悟はしていましたが、小説『1Q84』の1Q84年が、青豆や真吾にとって抗えないたったひとつの現実であったように、厳しい現実との対峙だったからです。映画の中のさまざまな人生を疑似体験するのは楽しいことですが、リセットの効かない過酷な現実と対峙するのはこたえるものです。

    愛する人との永久の別れは、がらにもなく、それが意味するものはなんなのか、残されるものの人生はいかにあるべきかなどと考えてしまうのものです。生きる意味というのはいくら考えてもわからないのでしょう。ただ、今回の現実を通してひとつだけわかったことがあります。
    ”一日一日を精一杯生る”ことが大切だといいますが、その精一杯とはなんなのか・・・、自分にはよくわかりませんでした。好きなことに熱中できることなのか、いろいろな旅やレジャーやイベントを通し大いに好奇心を満たすことなのか・・・、社会のために尽くすことなのか・・・、それも大事なことです。しかし、もっとも大切なことは、一日一日精一杯愛し愛されるということでした。愛する人が最後の最後まで’生きられた’のは、それがあったからです。逝く者、送る者、両者にとってどうもこれだけは真実のようです。
    | | 22:52 | comments(2) | trackbacks(0) | |
    | comments(2) | trackbacks(0) |author : J.T. | |
    パール判事の日本無罪論
    パール判事の日本無罪論(小学館文庫)
    この本は、東京裁判で11名の判事の一人だったインド人のパール博士に”永久に私の子供だ”とまで言われ信頼を置かれていた田中正明氏の著書です。

    書かれたのは1963年(昭和38年)、この本の元は、サンフランシスコ講和条約が発効された1951年(昭和27)年4月28日。まさにその日に発行された「真理の裁き・パール日本無罪論」。占領時代からひそかに編集され出版の準備をしていたのですから驚きです。著者の田中正明氏についての評価は色々ありますが、取りあえずそれは置いておくことにします。

    終戦記念日が近づき、テレビでは太平洋戦争の特番が組まれ、戦没者を悼む式典がライブ報道されています。人道的とはいえない日本軍の情報や、是非もなく侵略戦争だと教育されたものにとって、あの戦争に対して自虐的な歴史観しか持ち得ないのはしかたのない事なのかもしれません。正当な評価が下されるのは歴史となった時だと言われますが、さまざまな視点からあの戦争を考えてみたいという欲求を持っている人は少なくないと思います。自虐的な歴史観一筋から一歩距離を置いて、あの戦争を俯瞰してみることも必要かもしれません。

    その一視点としての国際法。パール判事はこの基準に則り、東京裁判で日本は無罪であることを主張しました。最初は同じアジア人として日本寄りの判断を下したものではないかといぶかしげに読み始めたのですが、国際法に照らし合わせたパール判事の公正な視点は、東京裁判が戦勝国と戦敗国という力関係で裁かれた裁判であることを解き明かすに足るものがあります。また、地政学的な視点での戦争感は、主権国家の群雄する世界がいかに無法地帯であるのか、具体的なイメージを膨らませてくれることだけでも一読の価値ありです。

    実際に自分の身に起こりうるミクロ視点の惨事は、ドキュメンタリーや戦争を題材にした映画でいやと言うほど描かれているのに、戦争の火種は消えることがありません。以前このブログでも「カルラのリスト」というICTYのカルラ・デル・ポンテ国連検察官を描いたドキュメンタリー映画を紹介しましたが、世界をどう治めるかという所にももっと焦点を当てるべきだと思います。
    今の世界を日本の歴史に例えてみたら戦国時代みたいなもので、群雄する主権を持った国が乱立し、自らの理念が正しいと信じて力で日本を支配しようとした姿とダブルのは確かです。力で力を制する時代から法治国家全体を治める”法治世界”になる事が平和への礎になるのではと思わせてくれる一冊でした。
    JUGEMテーマ:読書


    | | 23:47 | comments(2) | trackbacks(0) | |
    | comments(10) | trackbacks(0) |author : J.T. | |
     『魂萌え!』 の原作を読む
    現在公開中の魂萌え!(たまもえ!)公開前にある雑誌に載った、原作者 桐野夏生 のインタビュー記事をみて、興味を惹かれましたので原作を読んでみました。

    作品を要約すると・・・ 定年退職後、趣味にしていた蕎麦打ち(?)から帰った夫が風呂場で倒れ、そのまま他界してしまった。59歳の妻 敏子に唐突に訪れた人生の転機。子供達との確執、明かされた夫の秘密。同級生の女性達、夫の蕎麦打ちの仲間達などを通して、変化してゆく妻敏子の心模様を描いた作品。

    なぜ、インタビュー記事で興味を持ったかというと、桐野さんのコメントに、「歳をとるということは、意外と荒々しく積極的になれるのかもしれない」という発言があったからです。”荒々しく積極的”、このフレーズ、頭に焼き付きました。とてもユニークな表現です。夫の突然の他界を通して、この女性がどう変わって行くのか、その心の移り変わりをどんな風に表現しているのか、是非原作を読んでみたいと。

    600頁余ありましたが、すんなり入ってくる文体と、情景がすぐ頭に浮かぶような描写。想像していたより読みやすい作品でした。夫が亡くなってから発覚した、彼の愛人とのぶつかりあいから見えてくる、妻としての自分と愛人の素顔。夢破れたアメリカから、家族ごと飛ぶようにして帰ってきて遺産相続に躍起になる息子や、いずれは恋人の実家に嫁に入ろうと共働きで同棲してる娘との心の距離感を見定める自分。そして街で知り合った人たちや、夫の趣味の仲間であった定年退職後の男性達との関わりあいで、自からに訪れた孤独の認識。

    敏子の感情が、堰を切ったようにほとばしったり、沈み込んだりするのは、孤独(魂が裸にされた状態といってもいいのでしょうか)な魂があらぶれる感覚にも思えました。彼女の場合、夫や子供たちと、守り守られてるという絆の意識が断ち切られた時が、その孤独感の始まりだったのだと思います。
    こんな風に書くと、どろどろして暗くなる作品の様に感じるかもしれませんが、そんなことはありません。色んな体験を通して、自分の心の奥にあったモヤモヤした部分を言葉に表現できるまでになった彼女の将来には明るいものを感じました。この年代の方、そしていずれはそこへ到達するの世代への、桐野流のエールの様に感じ取れる作品です。

    映画のキャスティングを見ると、妻の 関口敏子に風吹ジュン、記事では触れませんでしたが、カプセルホテルで知り合う宮里しげ子に加藤治子、 夫の愛人伊藤昭子に三田佳子、このあたりは私の原作のイメージにピッタリの様な気がします。映画ですから原作からは多少離れるかもしれませんが、どんな風に描いてるのか気になります。
    | | 01:13 | comments(10) | trackbacks(0) | |